2020年8月5日水曜日

総督府事務官「半強制的な供出をさらに強化」



…朝鮮の職業紹介所は各道に一ヶ所ぐらゐしかなく組織も陣容も極めて貧弱ですから、一般行政機関たる府、郡、島を第一線機関としてやってゐますが、この取りまとめが非常に窮屈なので仕方なく半強制的にやってゐます。その為輸送途中に逃げたり、折角山(炭鉱、鉱山)に伴れていっても逃走したり、或は紛議を起すなどと、いふ事例が非常に多くなって困ります。しかし、それかと云って徴用も今すぐには出来ない事情にありますので、半強制的な供出は今後もなほ強化してゆかなければなるまいと思ってゐます。


(出典:「座談会 朝鮮労務の決戦寄与力」『大陸東洋経済』1943年)

解説
1943年に行われた座談会のなかでの、朝鮮総督府労務課事務官・田原実の発言。前年2月から行われていた「官斡旋」段階の様子を伝えている。
本来、労務動員はやみくもに人をつかまえて何も考えずに送り込むことではない。その労働現場や、地域で必要不可欠な仕事をしていた人が奪われては困る。他方、動員先でも、明らかに不向きな人が送り込まれたら、かえって迷惑だからだ。
つまり、能力や現在の仕事などの諸事情を踏まえ、動員すべき人とその配置先を決めるのが、国家総動員法に基づく徴用の本来の制度設計だった。
日本では、職業紹介所が全国津々浦々に設置された。ところが、朝鮮では「各道に一カ所」つまり、日本で言えば各県に1つしかなかった。これではどの地区に、動員できる人員がどれだけいるかの把握は不可能だ。しかも、すでにこの時期には朝鮮農村でも労働力不足となっていた。
にもかかわらず、「官斡旋」では、数日間のうちに、ある村から50名や100名を集めろという指令が下された。
だから、無理やり、強圧的な脅しをかけてでも動員する、となっていたのである。朝鮮総督府の役人自身の「半強制的」という言葉は、婉曲ながらそれを表現している。