2020年8月20日木曜日

日本の徴用工裁判での「和解」内容②―日本鋼管訴訟(1999年4月)

日本鋼管損害賠償請求訴訟(金景錫訴訟)控訴審

和解条項(1999年4月6日、東京高裁法廷)


一、控訴人(注:元朝鮮人労働者の金景錫氏)と被控訴人(注:日本鋼管)は、韓国と日本の過去の歴史において不幸な一時期があったことを真摯(しんし)に受け止め、今般以下のとおり和解することとする。

二、控訴人は、一九四二年当時、戦時という特殊な状況、諸般の情勢の下、兄の身代りに已むを得えざる苦渋の選択として祖国より日本に渡り、被控訴人の川崎工場において労働し、一九四三年四月、工場内で発生した暴行事件によって重症を負い、重大な後遺症を残したと主張する。 これに対し被控訴人は、一部資料により、被控訴人構内において同年何らかの騒動事件が発生したことは推察できるものの、当該事件と控訴人の関わりは判然とせず、控訴人の主張を確認する手だてはないと主張する。

 当時から五〇年以上経過した今となっては、当該事件の加害者を特定することは極めて困難であることから、控訴人は、本件については被控訴人に責任を問うことは法的に困難が大きいとの認識を前提にするもやむを得ない、一方被控訴人は、当該事件に巻き込まれて負傷し障害が残ったとの控訴人の主張を重く受けとめ、控訴人が障害をもちながら永きにわたり苦労したことに対し、真筆な気持ちを表するものであり、その意思を表するため、金四一〇万円を支払う。

三、控訴人と被控訴人の間には、前項に定める外に何らの債権債務のないことを相互に確認する。


 

出典:梓澤和幸(日本鋼管訴訟主任弁護士)「日本鋼管訴訟」『軍縮問題資料』200612月号

http://www.azusawa.jp/jinken/nihonkoukansoshou-0612.html

 

解説

 韓国在住で、戦時中に日本鋼管(NKK、現JFEグループ)川崎製鋼所に動員された金景錫(キム・キョンソク)氏が、強制連行のうえ強制労働を強いられ、さらに拷問を受けたとして、日本鋼管に1000万円の損害賠償と謝罪を求めていた訴訟で成立した和解の条項。

金氏は日本鋼管にいた19433月、職場近くの書店で『半島技能工の育成』という本を購入。その中で、日本鋼管の労務担当者が朝鮮人労働者について「いかにも何か怠惰」「機能方面が非常に劣る」などと蔑視・侮辱する発言をしているのを読んだ。怒りを覚えた金氏は、これを職場の仲間たちと回し読みした。

410日ごろ、川崎製鉄所で働く約800人の朝鮮人労働者が就労を拒否。「故郷へ帰らせてくれ」「会社は謝れ」などと会社に要求した。金氏はこのストライキの「首謀者」として捕らえられ、憲兵、警官、会社従業員らに天井から吊るされ、木刀や竹刀でめった打ちされる拷問を受けた。その結果、金氏は「右肩肝骨骨折及び右腕脱臼の傷害」を負った。その後も十分な治療がなされなかったため、右肩関節の連動制限の後遺障害が残ってしまった(この事件は、『特高月報』一九四三年八月分の「朝鮮人運動の状況」のなかで「日本鋼管に於ける移入朝鮮人労務者を民族的に煽動せる事件」として記録されている)。

東京地裁は強制連行、強制労働を否定し、請求を棄却したが、「拷問・傷害罪」については事実と認定し、日本鋼管の拷問への関与を認めた。金氏は控訴したが、その審理中に和解協議が進み、1999年4月6日、東京高裁で裁判長の立ち会いの下に和解が成立したのであった。この日、鬼頭季彦裁判長が、和解条項を法廷で読みあげた。その際、満席の傍聴席から拍手が起こったという。

和解条項の全文は、「法律事務所のアーカイブ」中の「日本戦後補償裁判総覧」№15「日本鋼管訴訟」の「1999. 4. 6和解」(http://justice.skr.jp/judgements/15-2.pdf)で読むことができる。