2020年8月23日日曜日

日本の徴用工裁判での「和解」内容①――新日鉄釜石訴訟(1997年9月)


  艦砲射撃にて戦災死した朝鮮人徴用工の慰霊に対する協力について

 

 当社は、昭和20年、日本製鐵株式会社釜石製鐵所にて連合軍による艦砲射撃により戦災死した朝鮮人徴用工の慰霊に対し、次の協力を行うものとする。

 

1、      釜石市における慰霊の実施

(1)              釜石市における慰霊の実施(当社の釜石製鐵所内にある鎮魂社において、合祀祭を執り行い、艦砲射撃により戦災死した朝鮮人徴用工25名の名簿を奉納し、慰霊する。)

(2)              白南悦を除く原告10名が釜石市において1回は慰霊できるよう旅費を負担(原告1人あたり70万円)

 

2、      韓国における合同慰霊への旅費の負担

(1)              原告10名が韓国で行われる合同慰霊に出席できるよう旅費を負担(原告1人あたり30万円)

(2)              白南悦が韓国で行われる合同慰霊に出席できるよう旅費の一部を負担(5万円)

 

3、      個別慰霊に関わる費用の一部拠出

白南悦を除く原告10名に対し、永代供養に関わる費用の一部拠出(原告1人あたり100万円)

 

4、      上記1(2)、2、3に記載する協力の実施は、本件に係る訴訟が取り下げられた時に行うこととす
る。

以上

 

 (上記1に記載する釜石における合祀祭に出席する代表者の旅費及び上記2に記載する韓国における合同慰霊に係る費用の一部については上記1から3に記載する協力とは別途負担する。)

 

              新日本製鐵株式会社総務部

                総務・組織グループリーダー

                       吉武 博通

                国内法規グループリーダー

                       唐津 恵一  

 

1997年9月18

 

 

出典:日本製鉄元徴用工裁判を支援する会・発行

『虹 日韓民衆のかけ橋 -パート2-』対新日鉄和解と2年間のあゆみ

1998年1月28日発行


解説

この訴訟は、1995年9月に、旧日本製鉄釜石製鉄所に動員された韓国人元徴用工の遺族が起こしたもので、遺骨の引き渡しや未払い金の支払い、謝罪と補償などを求めていた。原告11名のうち10名は、戦争末期に連合国軍の艦砲射撃によって亡くなった元徴用工の遺族、1名は労災で死亡した元徴用工の遺族であった。いずれの原告も亡くなった自分の父親ないし叔父の遺骨が未返還であるとして、その返還を求めていた。

これに対して被告新日鉄は、①戦前の日本製鉄と戦後の新日鉄は別法人であるという「別会社論」、②時間が経ちすぎているという「時効・除斥」を理由として、未払い金等の支払いには応じなかった。

ただし、遺骨の返還については、新日鉄側も対応すべきだと考えた。当時、新日鉄内でこの訴訟を担当した人物は「遺骨返還は法的責任があろうとなかろうと、企業としては人道的観点から真摯(しんし)に対応すべきだと考えました」と語っている(『しんぶん赤旗 日曜版』2019929日号)。

新日鉄は、遺骨の所在調査のため、釜石で調査するだけでなく、韓国に渡って遺族を含む関係者からの聞き取りなどを行ったが、結局、遺骨を発見するには至らなかった。

新日鉄は原告と協議を行い、艦砲射撃で戦災死した元徴用工遺族原告に、「釜石製鉄所内での慰霊の実施」「韓国における合同慰霊への旅費負担」「個別慰霊に関わる費用の一部負担」の名目で、1人当たり200万円を支払うことを提示した(労災死亡した元徴用工遺族については、労災死亡後に遺族に遺骨を届けたとの記録があるとして慰霊金の支払いを認めず、合同慰霊祭への出席費用として5万円を支払う、とした)。

原告は、新日鉄の誠実な対応を評価し、1997年9月18日、この申し出を受け入れた。この和解により、原告は一審審理の途中で新日鉄に対する訴訟を取り下げた。一方、国に対する訴訟はその後も継続した。

当時、原告は次のような談話を残している(『虹 日韓民衆のかけ橋 -パート2-』による)。

「我々はこうした新日本製鉄株式会社の対応を高く評価するとともに、遺骨調査への協力に対して謝意を表明する」

「さらに、このたび、新日本製鉄株式会社がこれまで遺骨がないことにより故人の魂を鎮めることができなかった我々の事情に鑑み、慰霊のための協力を我々に申し入れたことも、高く評価できる」

この新日鉄釜石訴訟は、1990年代に入って起こされたいくつかの戦後補償裁判における初めての和解事例だった。