内務省嘱託小暮泰用より内務省管理局長竹内徳治宛「復命書」より
斯して送出後の家計は如何なる形に於ても補はれない場合が多い、以上を要するに送出は彼等家計収入の停止となり作業契約期間の更新等に依り長期に亘るときは破滅を招来する者が極めて多いのである、音信不通、突然なる死因不明の死亡電報等に至ては其の家族に対して言ふ言葉を知らない程気の毒な状態である、然し彼等残留家族は家計と生活に苦しみ乍ら一日も早く帰還することを待ちあぐんで居る状態である、私が今回旅行中慶北義城邑中里洞金本奎東(二十三才)なるものが昭和十八年七月一日北海道へ官の斡旋に依り渡航した家庭を直接訪問して調査したるに、最初官の斡旋の時は北海道松前郡大沼村荒谷瀬崎組に於て本俸九十五円、手当を加へ合計月収百三十円となる見込みとの契約にて北海道より迎へに来た内地人労務管理人に引率され渡航したる後既に一年近くになっても送金もなければ音信もない家に残された今年六十三才の老母一人が病気と生活難に因り殆んど頻死の状態に陥って居る実情を目撃した
〔略〕
右の如く送出後殆んど音信を断ち尚家庭より通信するも返信なく半年乃至一年を経るも仕送金無きものもありて其の残留家族特に老父母や病妻等は生不如死〔生きていながら死んだも同じ〕の如き悲惨な状態であるのみならず其の安否すら案じつつ不安感を有する者極めて多く、此の如きは当事者の家庭現状にのみ限らず今後朝鮮から労務者送出上大なる影響を与ふるものとして憂慮に堪へないのである
(出典:内務省嘱託小暮泰用より内務省管理局長竹内徳治宛「復命書」)
●解説
内務省官僚小暮泰用が1944年7月31日付で上司に提出した報告書の続きである。日本内地行きの労働者はもともとさまざま理由による控除で手取りが少なかったことを説明したあとの文章である。強制貯蓄があって、家族送金ができないことや、日本に行った子どもが音信不通となった母が、死にそうな状態に陥っていたケースがあったことが報告されている。