内務省嘱託小暮泰用より内務省管理局長竹内徳治宛「復命書」より
(イ)朝鮮に於ける労務動員の方式
凡そ徴用、官斡旋、勤労報国隊、出動隊の如き四つの方式がある
徴用は今日迄の所極めて特別なる場合は別問題として現員徴用(之も最近の事例に属す)以外は行はれなかった、然し乍ら今後は徴用の方法を大いに強化活用する必要に迫られ且つ其れが予期される自体に立到ったのである
官斡旋は従来報国隊と共に最も多く採用された方式であって朝鮮内に於ける労務動員は大体此の方法に依って為されたのである
又出動隊は多く地元に於ける土木工事例へば増米用の溜池工事等への参加の様な場合に採られつつある方式である、然し乍ら動員を受くる民衆にとっては徴用と官斡旋時には出動隊も報国隊も全く同様に解されて居る状態である
(出典:内務省嘱託小暮泰用より内務省管理局長竹内徳治宛「復命書」)
●解説
中央政府官僚の小暮泰用が、1944年7月31日付で上司に提出した報告書である。内容は、彼が朝鮮に出張して調査した戦時下の朝鮮の行政や民衆の動向。
この時点では、朝鮮では国家総動員法第4条・国民徴用令による「徴用」は、日本内地行きの労働者を確保する方法としては行われていない。官斡旋(かんあっせん)といわれる方式で行われていた。
これについて小暮は、動員される民衆にとっては徴用も官斡旋も同様に理解されていると記している。無理やり連れていかれることに変わりはないからということだろう。