内務省嘱託小暮泰用より内務省管理局長竹内徳治宛「復命書」より
(ロ) 労務給源
朝鮮内の労務給源は既に頭打の状態にあると云ふのが実状であらうと思はれる
今尚余裕があると見る向も相当にあるが然し之れは頭数のみを見、人は男女共に内地人男女と同等の能力を有するものと云ふ前提の下に立ってゐる見解である、端的には労銀の想外の昂騰が其の一つの証拠であり又朝鮮人の婦女子は潜勢力としては存在するが現実の家計収入をもたらすべき労働力としては一般に評価し得ない実状にある、斯の如く観じて来るときは朝鮮内の労務給源は非常に逼追を告げてゐると云ふべきである
(出典:内務省嘱託小暮泰用より内務省管理局長竹内徳治宛「復命書」)
●解説
中央政府官僚の小暮泰用が、1944年7月31日付で上司に提出した報告書である。内容は、彼が朝鮮に出張して調査した戦時下の朝鮮の行政や民衆の動向。
1930年代までの朝鮮では、「農村過剰人口」が問題となっていた。衛生状況の改善等により人口が増加している一方、それに見合った耕作地の拡大がなかったことが背景にあった。朝鮮農村で生活できない人びとは、満州に移動したり、日本内地にやってきたりした。
そのことから、朝鮮では人が余っているのだ、彼らを連れて来て日本内地で働かせればよいという認識が、労務動員政策の担当者の間にはあった。だが、小暮が朝鮮を視察した1944年6月時点では、すでに朝鮮でも労働力不足が明白となっていた。
にもかかわらず、この年の日本政府は、朝鮮人の動員を増やそうとしていた。同年の動員計画では、日本の炭鉱や軍需工場に配置する朝鮮人は29万人とされていた。前年度までの計画では毎年8~12万人程度だった。その数字も小さいものではなかったが。遊んでいる人などいない、それどころか働き手が不足している農村から、むりやり新たに人を出せ、というのが労務動員の実情だった。