「大声じゃ言えないけれど、私は日本の金でなくて、日本の品物、機械、日本人のサービス、役務で支払うということであれば、これは将来日本の経済発展にむしろプラスになると考えていました。それによって相手国に工場ができるとか日本の機械が行くことになれば、修繕のために日本から部品が輸出される。工場を拡張するときには、同じ種類の機械がさらに日本から輸出される。従って経済協力という形は決して日本の損にならない」
(新延明「条約締結にいたる過程」『季刊青丘』1993年夏号)
●解説
「季刊青丘」は、1989年8月から94年5月まで、約5年にわたって日本と朝鮮半島、在日韓国・朝鮮人に関わるさまざまなテーマを取り上げた雑誌。93年5月発行の夏号は、「いま日韓条約を考える」と題する特集を組んだ。
上記「条約締結にいたる過程」を書いた新延明は、当時、NHKディレクター。92年夏のNHKスペシャル「訴えられる日本」の取材のため、様々な資料を集め、数多くの関係者に会い、交渉の様子を尋ねたことについて、この論考の冒頭で触れている。そこで新延は、中川融外務省条約局長を、経済協力方式の「発案者と言われる」と紹介している。