2020年5月29日金曜日

「朝鮮人寮は監獄のよう」と日本人徴用者

 私は、終戦当時、19歳であり、昭和19年11月から昭和20年5月まで徴用として強制的に入坑させられました。…

 朝鮮の人もいました。朝鮮人は、私たち日本人と違い、ものすごい仕打ちで絶対監視付きであり、差別的扱いでした。

    朝鮮人の寮は私たちの寮から離れており、まわりは壁でかこまれていて、出入り口は一カ所しかなく、窓は格子付きでまるで監獄みたいな所です。

    苦しくて逃げだす人もあるのですが、見つかると半殺しにあうような仕打ちでした。私たち日本人は、このような仕打ちは受けませんでした。…

 当時は「炭鉱に行くなら、兵隊に行った方がましだ」と言う人が多かったようです。


出典:『戦争を知らない世代へⅡ㉑佐賀編 強制の兵站基地―炭鉱・勤労報国・被爆の記録』
第三文明社、1985


●解説

 創価学会青年部反戦出版委員会がまとめた記録。炭鉱で働いていた日本人中原貞男さんの証言。証言のタイトルは「悲惨極まりない炭鉱生活」となっている。当時の炭鉱労働が過酷であったことはよく知られていた。炭鉱より軍隊がまし、というような認識すら一般的だった。

   そして、さらにひどい待遇のもとで朝鮮人が働いていたことを、実際に見聞していた日本人も少なくなかった。なお、この日本人の証言にある「徴用」が、実際に徴用令書をもらっての徴用だったのかは不明である。