江原道地方で警察官をしていた伊藤梅之の回想
「近東面(注:地名)は開戦以来面長以下全職員実によく上司の命令に忠実熱心で勤労動員に、食糧の動員に、その他戦時下の面行政に抜群の成績を挙げていた。特に内地向け勤労者供出には割当100%の成績を挙げていた。それだけに関係者の説得には半ば強制的とも思われる手段で強行されていたのが実情であったように思われる」
(金剛会編『江原道回顧録』同会刊、1977年)
●解説
当時の日本にとって「食糧動員」も重要課題だった。植民地朝鮮は重要な食糧生産地であり、農業生産の中心人物は連行しないことが建前だったが、末端の担当者は「割り当てを消化しておけばよい」という態度だった。1944年には江原道郡内労働力も枯渇していたため、上記の伊藤など当時の警察官たちが回想しているような事態が起こったとみられる。