参院本会議1965(昭和40)年11月19日
○国務大臣(椎名悦三郎君)
それから、請求権の問題と経済協力、これは、日本の対朝鮮請求権は、軍令及び平和条約等のいきさつを経て、もはや日本としては主張し得ないことになっておりますが、反対に、韓国側の対日請求権、この問題について、この日韓会談の当初において、いろいろ両国の間に意見の開陳が行なわれたのでありますけれども、何せ非常に時間がたっておるし、その間に朝鮮動乱というものがある。で、法的根拠についての議論がなかなか一致しない。それから、これを立証する事実関係というものがほとんど追及ができないという状況になりまして、これを一切もうあきらめる。そうして、それと並行して、無償三億、有償二億、この経済協力という問題が出てまいりました。何か、請求権が経済協力という形に変わったというような考え方を持ち、したがって、経済協力というのは純然たる経済協力でなくて、これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らとの間に関係はございません。あくまで有償・無償五億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、これに対して日本も、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、この経済協力を認めたのでございます。合意したのでございます。その間に何ら関係ございません。英国であるとかフランスなんか、旧領地を解放して、そうして新しい独立国が生まれた際にも、やはり、この経済的な前途を支持する、あるいは新しい国家の誕生を祝う、こういう意味において相当な経済協力をしておる。その例と全然同じであります。
●解説
下線は当ブログによる。椎名悦三郎は、1965年6月、日韓基本条約と請求権協定などの諸協定に調印したときの外相。この答弁は、同年11月、日韓条約と諸協定の国会承認を求める参院本会議で、担当閣僚として趣旨説明した際のもの。
椎名は、戦時中は旧商工省次官として岸信介商工相を支え、戦後、公職追放となるが、55年の衆院選で初当選。64年7月の池田内閣の外相に就任した。続く佐藤内閣でも留任し、日韓交渉に取り組んだ。
諸懸案に妥結の見通しが立ってきた65年2月、椎名は訪韓し、基本条約に仮調印。6月に基本条約と請求権協定などの諸協定に日韓外相が正式に調印した。66年12月まで外相を務めた。