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朝鮮人戦時労務動員を考える資料庫
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請求の趣旨及び原因は、名古屋高等裁判所金沢支部が平成八年(ネ)第158号強制連行労働者等に対する未払賃金等請求事件について、平成十年12月21日に言い渡した判決(その付加訂正して引用する富山地方裁判所平成四年(ワ)第263号事件の判決を含む。)の事実適示のとおり
和解条項
一 被上告人兼相手方(以下「被上告人」という。)と、上告人兼申立人三名(以下「上告人三名」という。)並びに利害関係人徐廷烈、同金喜庚、同梁春姫及び同権炳淑(以下上告人三名と右利害関係人四名を併せて「上告人等七名」という。)並びに利害関係人太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会及び金景錫(以下右利害関係人両名を「利害関係人二名」という。)とは、第二次世界大戦中、上告人等七名が被上告人において労働したことについて真摯(しんし)に受け止め、本和解をもって一切を解決するものとする。
二 被上告人は、当時、上告人等七名を含む日本国内外の多くの人々が、被上告人において労働したことをあらわすため、被上告人の会社構内に碑を設置するほか、上告人等七名及び利害関係人二名に対し、解決金(注)を払うものとする。
三 利害関係人二名は、当時の被上告人での労働にかかわることについて、本和解をもって一切を解決したことを確認し、以後被上告人に対し何らの請求をしない。
四 上告人三名は本件請求を放棄する。
五 上告人等七名及び利害関係人二名と被上告人との間には、本和解条項に定める外に何らの再建債務のないことを相互に確認する。
六 訴訟費用及び和解費用は、第一審、第二審及び上告審を通じ、各自が負担する。
(注)解決金の総額は3500万円
(出典:『不二越訴訟裁判記録Ⅰ 主張・判決編』不二越訴訟弁護団、2001年5月1日)
解説
この訴訟は1992年9月30日、富山県の企業「不二越」に動員された元女子勤労挺身隊員2名、元徴用工1名の計3名が富山地裁に起こしたもので、未払い賃金の支払いと強制連行に対する賠償(1人当たり500万円ないし1000万円)、謝罪広告を求めていた。
裁判所は一審、二審ともに、不二越に対する原告の請求を時効などを理由に棄却。その一方で、不二越の強制動員、強制労働の事実や賃金未払いについては、判決の中で詳細に認定した。
1996年7月24日に出された富山地裁一審判決では、不二越の従業員が、不二越に行けば「女学校に通え、そこを卒業でき、お金もたくさんもらえ、タイプライター、ミシン、お花が習える」、「勉強も仕事もでき、上級学校にも行くことができるし、お金も余計稼ぐことができる」などと勧誘して、女子勤労挺身隊員を連れてきた事実を認定した。しかし、実際には、「勉強する機会も、女学校に通うことも、生け花、裁縫、タイプを教えてもらうこともなかった」、「学校に行かせてくれるよう何度も頼んだが、『ちょっと待っていろ』と言われたのみで学校に通わせてもらえなかった」。不二越は、動員時にまだ国民学校(小学校)6年生、12歳であった原告を「欺罔(ぎもう:だますこと)」したのである。これは明らかに強制連行であった。
また、一審判決では、賃金はもらえず、はがき、切手が買える程度の小遣いをもらっただけであった事実、1週間交替の昼夜二交替制で過酷な労働を強いられた事実、「食事も十分ではなく、道に生えている芹(せり)を食べたり」するような状態にあった事実をも認定した。これは強制労働に当たる。
この訴訟では、一審に続き、二審も原告敗訴となったが、上告後の2000年7月11日、最高裁で和解が成立した。この和解は裁判所(最高裁)で交わされたが、原告3名以外の「利害関係人」も含めて被告会社が和解したことが大きな特徴であった。一、二審判決で会社側が抗弁したにもかかわらず裁判所が原告らの被害事実を具体的に認定したこと、原告らが米国で別訴を提起する動きを見せていたことなどが、被告会社の和解解決選択の背景にあったと言われている。
艦砲射撃にて戦災死した朝鮮人徴用工の慰霊に対する協力について
当社は、昭和20年、日本製鐵株式会社釜石製鐵所にて連合軍による艦砲射撃により戦災死した朝鮮人徴用工の慰霊に対し、次の協力を行うものとする。
1、
釜石市における慰霊の実施
(1)
釜石市における慰霊の実施(当社の釜石製鐵所内にある鎮魂社において、合祀祭を執り行い、艦砲射撃により戦災死した朝鮮人徴用工25名の名簿を奉納し、慰霊する。)
(2)
白南悦を除く原告10名が釜石市において1回は慰霊できるよう旅費を負担(原告1人あたり70万円)
2、
韓国における合同慰霊への旅費の負担
(1)
原告10名が韓国で行われる合同慰霊に出席できるよう旅費を負担(原告1人あたり30万円)
(2)
白南悦が韓国で行われる合同慰霊に出席できるよう旅費の一部を負担(5万円)
3、
個別慰霊に関わる費用の一部拠出
白南悦を除く原告10名に対し、永代供養に関わる費用の一部拠出(原告1人あたり100万円)
4、
上記1(2)、2、3に記載する協力の実施は、本件に係る訴訟が取り下げられた時に行うこととす
る。
以上
(上記1に記載する釜石における合祀祭に出席する代表者の旅費及び上記2に記載する韓国における合同慰霊に係る費用の一部については上記1から3に記載する協力とは別途負担する。)
新日本製鐵株式会社総務部
総務・組織グループリーダー
吉武 博通
国内法規グループリーダー
唐津 恵一
1997年9月18日
出典:日本製鉄元徴用工裁判を支援する会・発行
『虹 日韓民衆のかけ橋 -パート2-』対新日鉄和解と2年間のあゆみ
1998年1月28日発行
解説
この訴訟は、1995年9月に、旧日本製鉄釜石製鉄所に動員された韓国人元徴用工の遺族が起こしたもので、遺骨の引き渡しや未払い金の支払い、謝罪と補償などを求めていた。原告11名のうち10名は、戦争末期に連合国軍の艦砲射撃によって亡くなった元徴用工の遺族、1名は労災で死亡した元徴用工の遺族であった。いずれの原告も亡くなった自分の父親ないし叔父の遺骨が未返還であるとして、その返還を求めていた。
これに対して被告新日鉄は、①戦前の日本製鉄と戦後の新日鉄は別法人であるという「別会社論」、②時間が経ちすぎているという「時効・除斥」を理由として、未払い金等の支払いには応じなかった。
ただし、遺骨の返還については、新日鉄側も対応すべきだと考えた。当時、新日鉄内でこの訴訟を担当した人物は「遺骨返還は法的責任があろうとなかろうと、企業としては人道的観点から真摯(しんし)に対応すべきだと考えました」と語っている(『しんぶん赤旗 日曜版』2019年9月29日号)。
新日鉄は、遺骨の所在調査のため、釜石で調査するだけでなく、韓国に渡って遺族を含む関係者からの聞き取りなどを行ったが、結局、遺骨を発見するには至らなかった。
新日鉄は原告と協議を行い、艦砲射撃で戦災死した元徴用工遺族原告に、「釜石製鉄所内での慰霊の実施」「韓国における合同慰霊への旅費負担」「個別慰霊に関わる費用の一部負担」の名目で、1人当たり200万円を支払うことを提示した(労災死亡した元徴用工遺族については、労災死亡後に遺族に遺骨を届けたとの記録があるとして慰霊金の支払いを認めず、合同慰霊祭への出席費用として5万円を支払う、とした)。
原告は、新日鉄の誠実な対応を評価し、1997年9月18日、この申し出を受け入れた。この和解により、原告は一審審理の途中で新日鉄に対する訴訟を取り下げた。一方、国に対する訴訟はその後も継続した。
当時、原告は次のような談話を残している(『虹 日韓民衆のかけ橋 -パート2-』による)。
「我々はこうした新日本製鉄株式会社の対応を高く評価するとともに、遺骨調査への協力に対して謝意を表明する」
「さらに、このたび、新日本製鉄株式会社がこれまで遺骨がないことにより故人の魂を鎮めることができなかった我々の事情に鑑み、慰霊のための協力を我々に申し入れたことも、高く評価できる」
この新日鉄釜石訴訟は、1990年代に入って起こされたいくつかの戦後補償裁判における初めての和解事例だった。